深夜から明け方に思うこと~Dawn~

私が生まれてしばらくして

1歳の誕生日頃

高熱を出し、川崎病と診断された

 

入院はして、ベッドに寝ていても寝返りをするから

点滴が外れるから軽めの重しを手首両足に括りつけられていたらしい

 

手術をせずにすんだものの10歳ころまで激しい運動は避けられた

 

最初のころまでは車の定期点検並みに通院していて

誕生日=病院の日だった

 

心電図をとるためのクリームを塗って大きな洗濯ばさみで両手両足を挟まれ

心臓周りに吸盤をつけられる工程はいまだにその時の記憶が蘇る

 

10歳の誕生日のころ

2時間ほど待たされた挙句、来年からはもう通院しなくて大丈夫ですと言われた

 

幼少期から10歳まで激しい運動を制限された子供の運動神経は発達するしない

 

親も姉も剣道をしていて

応援には行くが極寒の中の見学はいつ発熱するかわからないため厚着が当たり前だった

 

医師からもう大丈夫と言われた後くらいから剣道はやってみたものの続きはせず

部活もやめた

 

防具、胴着も自宅に持って帰り押し入れにしまい込んだ

 

その直後、深夜に家が火事になった

 

持って出られるものは出たものの田舎の平家の一軒家

そんなものは知れている

 

着るものは遠方のいとこから送ってもらったりしたものの

思い出は取り戻せない

 

敷地内に新居を立てた

今思えば不本意ながら地鎮祭、棟上げ、せんぐまきなど色々工程を経験した

 

そして数年たったいつだったか

テレビを見ながら剣道の映像を見ていた父が発した一言

 

「おまえが剣道を続けていたら防具は部室においてて火事で失うことはなかった」

 

家や家族よりも防具かよ・・・

 

 

 

就職、転職を経て今の職場から転職を考えていたころ

母から

「あんたは病気しがちだから健康に生きていてくれればいい」

と泣きながら訴えられた

 

私は望む職業につけず、一人暮らしで好きな生き方もできず

ブラック企業まがいな会社でもとりあえず生きていればいいのかと落胆した

 

 

そんな両親を持ちながら

自由に健康に生きている姉を見て嫉妬するなというほうが難しい

 

自分のやりたいことなんて見つかるはずもない

 

 

父方の祖母の病気を隔世遺伝で受け継ぎいつどうなるかわからない

今は経過観察だけどそれがいつがんになるかわからない

 

そんな爆弾を抱えていたら夢も希望もない

 

もし、何らかのいたずらで結婚して子を授かることができても

その子に遺伝しないだろうかという心配しか付きまとわらないだろう

 

そうなれば母の「健康に生きていてくれればいい」ということしか思わないだろう

 

それならば、我が家の代をおわらせてしまうかもしれないけど

私で隔世遺伝を断ち切ったほうがいいのではないかと日々考えている